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神奈川の公立高校入試制度の歴史を語ります

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こんにちは。ORIONです。

神奈川の入試制度も時代とともに移り変わってきました。今、中高生の息子や娘を持つご両親の頃は、アテストの時代だったでしょうか。当時と今では、入試制度も全く変わってしまっています。今回は私、ORIONがその神奈川の入試制度の歴史を振り返ります。

15の春を泣かせない 

1973年から1987年度に神奈川県では県立高校100校計画という壮大な計画が進められました。子供の数が急増する中、「15の春を泣かせない」というキャッチフレーズを打ち立て、進学を希望する全ての子供を受け入れる受け皿としての県立高校を次々に建設していったのです。

1970年の公立中学卒業生数が5万5千名、これが1988年には12万2千人になったというのですから、その急増ぶりには驚きですね。2倍以上です。これでは、高校が足りなくなるのも分かります。だから、どんどん作ったのですね。

当時の入試制度は、アテスト(9教科の県下一斉テスト)というものが中2で行われ、内申点とアテストの結果が、入試結果の大半を占めていました。神奈川方式と呼ばれる独特の入試制度でした。

神奈川方式における当時の選抜資料

 ①内申=50%(中2内申11.25%、中3内申38.75%)
 ②アテスト20%
 ③入試30%

その後、アテストの比率が10%、入試が40%になるなどの微調整はありましたが、内申とアテストの比率が高かったこと、入試問題は基礎基本が中心の出題であったこと、学区制度により学区外への志願が困難であったことなどの特徴を持った入試制度でした。この制度では、内申点とアテストの結果で進路指導を行うことが可能であり、その主導権を中学校側が持っていました。「輪切り」の進路指導と言われ、中学校の先生が指定する高校を受験すれば、ほぼ間違いがなかった時代です。「輪切り」の進路指導が行われていたので、各高校の倍率も今ほど高くはなかったです。

この神奈川方式が、100校計画とともに神奈川の高校入試の一時代を作りました。

 

複数志願制の時代

1988年(昭和63年)の公立中学卒業者数12万2千人をピークに、平成に入ってからは徐々に少子化が進展していきます。さらに1980年代以降には日本社会も高度経済成長期から安定期に入っていきます。「ゆとり」が重視され、週休2日制が広がり、公教育でも1992年から土曜日が休校となり、1995年からは第4土曜日も休校に、そして2002年からは学校週5日制となりました。生徒数も1994年には8万名台となり、わずか6年で3割以上の生徒数減となる中、個性重視の進学が議論されるようにもなってきました。

 

そのような背景もあり、1997年に「複数志願制」が誕生しました。これは1回の入試で、2校を志願できるという制度でした。つまり、第1志望と第2志望という形で二つの高校を志願できたのです。第1志望は目標校、第2志望は合格確実な抑えの高校というような志願方法も可能でした。

 

複数志願制は、やや複雑であり、結局はシンプルに第1志望と第2志望を同一にする受験生が徐々に多くなる傾向もありました。結局、わずか7年で複数志願制は終焉を迎えました。

 そして、「前期・後期選抜」へ

複数志願制に代わって2004年に登場したのが、「前期・後期選抜」です。また、2000年から「県立高校改革推進計画」が10年計画で始まりました。この計画の中では、再編統合により学校数22校減らすとともに総合学科などの新しいタイプの高校を誕生させていきました。

 

さて、「前期・後期選抜」ですが、これはどのような制度だったのでしょうか。

前期選抜は、筆記試験のない入試で、面接と調査書によって選抜が行われました。いわゆる校長推薦ではなく、自己推薦型の入試であり、受験生の意思で志願できることが大きな特徴でした。その定員は20~50%の範囲で各高校が決めることができたので、高校によっては50%、つまり半分が筆記試験なしで合格してしまうという制度でもありました。

 

後期選抜は筆記試験と内申を中心に選抜が行われました。内申と筆記試験の比率は、「4:6」「5:5」「6:4」の中から各高校が決めることができたことも特徴です。いわゆる上位校は筆記試験重視の傾向がありました。さらに英数国では、難易度の高い独自入試も導入可能になり、上位校にとっては実力勝負の入試制度でした。

 

こうなってくると、内申やアテストで輪切りの進路指導を行っていた従来の方法は全く通用しなくなります。どの高校を受験するのか、という選択の主導権は生徒に移っていきます。その流れに拍車をかけたのが、県立高校の学区撤廃です。生徒たちは、より広い範囲の中から、自分が進学したい高校を選択し、実力でその合格をつかみ取る時代となりました。

しかし、この「前期・後期選抜」という入試制度は短期間で見直され、2013年度から新たな「共通選抜」がスタートします。これが現行の入試制度です。

 まとめ

「前期・後期選抜」の問題点はいくつかありましたが、学力検査を受けない前期選抜の合格者に象徴される学力低下もその一つです。「分数の計算ができない大学生」などもニュースになったこともありました。さらに、グローバル化や情報化の進展、生徒の価値観の多様化などに対応し、県立高校改革が進んでいくことと並行し、入試制度も変わっていったのです。

 

振り返ると、神奈川の高校入試も様々な変革を経てきたのですね。なんだか、感慨深いです。