「生きている限りバットエンドはない。僕たちはまだ途中だ。これから続きをやるのだ」
これは芥川賞も受賞したピース又吉さんの小説の一節。
そしてこの言葉は、近畿大学卒業式で又吉さんが行った講演の中でも語られています。
「君たち卒業生はこれから社会に出る。社会に出た後の人生にはいくつも理不尽なことや辛いことが必ず待ち受けている。
そう言う理不尽で辛いことは必ず起こるし、絶望してただ排水口を長い間見つめているだけの時間を過ごす日もきっと来ると思う。
そう言う期間はもしかしたらとても長く続くかもしれないが、そう言う辛い日々と言うのはその後必ず来る嬉しい出来事の前フリだ。
人生にバッドエンドはない。
常に今は途中で必ず先があるのが人生だから自分を見失わないで生きて欲しい」
要約するとこんな内容でした。
映画とか小説とか、とても感動的なラストで終わることが多いけど、それは人生の一部を切り取ったに過ぎなくて、その先があるんだよな、って感じていました。ハッピーエンドって言っても、それは映画や小説の中だけであって、実際には続きがある。もちろん感動して泣いたりもするんだけど、まだ終わりじゃないから油断するなよ、ってそんな風にも思っていました。
だから、「バットエンドも同じで、生きていれば続きがある。だから希望を捨てないで過ごそう」という又吉さんのメッセージは、なんだか心に響いたのです。
人間の記憶って、不思議だなあって思うことも多くて、長く生きていると自分に都合が悪い、嫌な記憶はどんどん忘れたり、薄れたりしているようにも感じます。その時は、人生の終わりみたいに思っていても、「振り返ればあの時の自分があって今がある」なんていう風に語って、いつのまにか浄化したり、美化したりしていることがいくつもある。つらい経験をそのままの生々しさのまま背負っていたら、生きるのは大変だから、そういうメカニズムになっているのかな、とか勝手に思っている。僕が楽観的なだけかもしれないけれど。
時間が解決するよ、っていうこともあるけど、実際には時間は何も解決してくれやしない。ただ、時間とともに記憶が薄れて、楽になるだけのことなのではないだろうか。でも、それでいい。生きてさえいれば、嫌なことを忘れて、前を向けるということの方が大切だよね、と思います。
今日も最後まで読んでくれてありがとうございます。誰の人生にも、ただ排水溝を見つめている時間だけのはやってくる。僕の人生でも、これからまだそんな時間が来るかもしれない。そんな時はこの言葉を思い出そうと思います。